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鉄道車両に関する記事・鉄活動記録の他、模型の紹介なども掲載していきます。

京王線 その3

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 2010系デハ2015です。

2010系は、2000系の改良型として1959年に登場した17m級3扉車で、2両編成16本(32両)が製造されました。

使い勝手が良く、25年程度活躍しましたが、非冷房車といこともあり、1984年に全車引退となりました。

その後、大半の車両が伊予鉄道に譲渡されましたが、デハ2015は若葉台工場で保存され、京王資料館を経て2013年にリニューアルした京王れーるランドに移設されました。

現在、銚子電鉄で運用される2000形の元は京王2100系で、伊予鉄道時代に片側の運転台が変更されたものの、今でも京王ライトグリーンの走る姿を見ることができます。 

京王線 その2

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 今回、京王れーるランドを訪問した中で、一番撮りたかったのがこのの車両、2410号です。

京王電気軌道時代の1940年に日本車輌製造で10両が製造された14m級の短い電車で、デビュー当初の形式名は400形でした。

当初は制御車でしたが、1942年に電動制御車に改造され、1963年の架線昇圧後も1500V車に改造され、1969年まで活躍していました。

廃車後は、多摩動物公園駅前に静態保存されていましたが、後に高幡不動検車区で復元整備され、平山研修センターを経て、2013年10月にリニューアルオープンした京王レールランドで一般公開されました。

屋根付きの立派な施設での保存でもあり、車両は良好な状態で保存されています。

京王線 その1

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 京王線は、昔からほとんど利用する機会もなく、個人的にはあまり馴染みの少ない路線です。

鉄道写真を撮り始めてたころ、すでに5000系は引退していましたが、6000系は沢山走っていました。

当時は、自分は、JRや地元千葉の車両ばかり追いかけ、京王線の電車もそのうち撮りに行こうと思っていたら、6000系や井の頭線の3000系はいつの間にか引退してしまい、現役時代の写真を1毎も撮れませんでした。

そんなこともあり、今更ですが、先日平日に仕事の休みが取れたこともあり、京王れーるランドを訪問し、ここで保存される車両を見学してきました。

こうした施設は親子連れも沢山訪れるので、保存車両ので写真を撮るのであれば平日が良いですね。

この日は、気温もかなり低く、子供達は屋内の施設で遊び、屋外の保存車両が置いてある場所にあまり見学者はいなかった為、車両を撮るのには好都合でした。

でも、とても寒かったです。

関東鉄道竜ケ崎線~鹿島鉄道 その9

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  KR505とともに、「ほっとパーク鉾田」で静態保存されている、元鹿島鉄道のキハ601です。

元は1936年に川崎車輌で製造された国鉄キハ42032で、1965年から1966年にかけて関東鉄道に譲渡されました。

内外の大改装が繰り返し行われ、流線型の前面形状も平妻され、デビュー当時の面影はなくなってしまいました。

切妻面の前面は、改造さてた当初は貫通扉付きでしたが、1987年のワンマン化改造の際に貫通扉は埋められ、写真のようになりました。

2007年3月末の鹿島鉄道廃止まで営業運転を行っていましたが、改造を重ねてきたとはいえ、結果的に引退時の車歴は70年以上とかなりの長寿命となり、日本国内の気動車としては、営業運転期間の史上最高記録を達成しています。

 

関東鉄道竜ケ崎線~鹿島鉄道 その8

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 竜ヶ崎線でキハ532形を撮影し、静態保存されている4号機機関車を見学した後は、そのまま鉾田市まで足を伸ばし、「ほっとパーク鉾田」に静態保存されている鹿島鉄道の車両を見学しました。

写真の車両は、鹿島鉄道の晩年に主力として活躍したKR500形で、505号機です。1989年と1992年に計4両が導入されました。

新潟鐵工所製の16m級NDCで、デビュー当時はクリーム地にアイボリーとパープルの2色の帯を配した塗装でしたが、2003年に変更が行われ、各車両毎に異なる帯の色が採用されました。

現在、静態保存されているのは、青帯の505号です。

関東鉄道竜ケ崎線~鹿島鉄道 その7

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 かつて竜ヶ崎線活躍していた4号機機関車が、「龍ヶ崎歴史民俗資料館」の構内に静態保存されています。

1925年に川崎造船所兵庫工場で製造されたC形タンク機関車で、1965年まで現役として竜ヶ崎線で活躍していました。

 竜ヶ崎線は、1900年に竜崎鉄道として開業した762mm軌道の軽便鉄道が最初で、1915年に1067mmに改軌しました。

その後、1944年には鹿島参宮鉄道に移譲され、1965年に関東鉄道竜ヶ崎線となりました。

こうした中、4号機機関車は、所属する会社は変わったものの、その生涯をずっと竜ヶ崎線で過ごしました。

 

キハ35 902 (保存車両)

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↑ 碓氷峠鉄道文化むらで保存されるキハ35‐901。

キハ35-900番台車は、国鉄初のオールステンレス車として登場し、当時ステンレス車製造の先駆者となっていた東急車両の製造により、1963年に10両が増備されました。
これは、通勤型であるキハ30系では、ラッシュ時の定員以上の乗車時の重量増加に対して180psのDMH17では出力不足であり、当時問題となっていたが、キハ30では台枠の構造などの関係から大出力機関への換装が難しかったことから、車両の軽量化による走行性能の向上を図ることを目的として、試作的にステンレス車が導入されたものです。
キハ35型900番代車は、台枠から車体鋼体すべてをステンレスとしたのが最大の特徴で、外板は強度を保つためにコルゲート付きとなり、外吊り扉装置カバーは車体いっぱいに延長され、溶接の関係から前面と妻面の側板は30mm飛び出しています。
オールステンレスの車体は、当初無塗装とされ、腐食に強いことから房総西線(現:内房線)や房総東線(現:外房線)の受け持ち区であった千葉気動区に配置されました。
試作車ステンレスのキハ35形900番代車は、0番代車よりも約3トンの軽量化を実現しましたが、この軽量化がパワーウェイトレシオを左右するほどの効果を生み出すほどではなく、コストも割高となることからその後の量産化には至りませんでした。
登場後、しばらくは千葉地区で運用された900番代車ですが、久留里線と木原線(現:いすみ鉄道)を除く千葉地区の電化完了により、1974年に10両全車が高崎第一機関区に転属、八高線や足尾線(現:わたらせ渓谷鉄道)で運用されるようになりますが、このとき無塗装だったステンレスボディは首都圏色に塗装されました。
その後、1987年に6両が廃車され、4両が茅ヶ崎運転所に転属となり相模線で運用されましたが、うち3両が1990年に廃止、残る1両も1991年の相模線電化により休車となり、1995年に廃車となりました。
高崎第一機関区で廃止になった6両のうち、キハ35-901は解体されずに保管されていましたが、現在は碓氷峠鉄道文化むらに移され、静態保存されています。

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↑ 側面のコルゲート、車体いっぱいに延長された外吊り装置が特徴的です。