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鉄道車両に関する記事・鉄活動記録の他、模型の紹介なども掲載していきます。

【鉄コレ】わたらせ渓谷鐡道 わ89-100形 ②

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わたらせ渓谷鐡道 わ89-100型は、レギュラーシリーズ(第15弾)の他に、オープンパッケージの2両セットでも発売されましたが、こちらは登場時の塗装で 101号「こうしん」と 102号「ようがい」の仕様での製品化でした。

登場時の塗装は、車体下半分をベージュ、上半分を各社異なる色として、各窓下に動物のシルエットを帯状に配するものでした。

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 ↑ 101号「こうしん」

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 ↑ こうしん 前面の様子 

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 ↑ こうしん 側面の様子その1

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 ↑ こうしん 側面の様子 その2

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↑ こうしん 側面の様子 その3

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↑ 台車の様子

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 ↑ こうしん 反対側 運転台付近の様子

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 ↑ 102号 「ようがい」

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 ↑ ようがい 前面の様子

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 ↑ ようがい 側面の様子 その1

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 ↑ ようがい 側面の様子 その2

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 ↑ ようがい 側面の様子 その3

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 ↑ ようがい 反対側の様子

JR貨物 EH500

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↑ 郡山駅を通過する、高速コンテナ列車を牽引するEH500量産車。

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概要

EH500 は、JR貨物が 1997 年から製造するH形の交直流形電気機関車で、「ECO-POWER 金太郎」の愛称がついています。

青函トンネル開通後の本州と北海道の間の貨物輸送量の伸びを背景に、直流区間を走る EF65・黒磯以北の ED75青函トンネル専用の ED79 などの老朽化機関車置き換え用として開発されました。

東北本線藤田-白石間及び十三本木峠の急勾配・青函トンネルの連続勾配を走行するため、高い粘着性を軸重を増大させずに確保する必要があったためと、既存の重連で運用していた長大貨物列車を単機で運用することで線路保有会社に支払う線路使用料を軽減させるため、H形機とされました。VVVFインバータ制御で、交流区間では交流 20,000V を主変圧器から主変換装置を介して交流誘導電動機を駆動し、直流区間では直流 1,500V の主変換装置のインバータ部に電流を導き、交流誘導電動機を駆使しています。

この主変換装置1台で2つの主電動機を制御する 1C2M 方式となり、これを4基搭載して台車単位の制御を行っています。

主電動機( FMT4 )は、1時間定格出力 565kW のかご形三相誘導電動機で、短時間出力は 4,520kW に設定されていますが、通常は直流区間は 3,400kW 程度、交流区間では4,000kW 程度で運用されています。

駆動方式は吊り掛け式で、ブレーキ装置は電気指令式空気ブレーキに急勾配区間での走行を考慮して抑速発電ブレーキを併用、台車はボルスタレス方式となっています。

電気方式は三電源方式として製造されているため、幅広い運用が可能となっており、2013 年2月現在では仙台総合鉄道部に試作車を含む 70両、門司機関区に 12両の配置となっていましたが、 2019年に 65 号機が門司区に転属となり、門司機関区は 13両の体制になりました。

仙台総合鉄道部所属の機関車は、首都圏-北海道連絡の高速貨物列車を主体に運用されていて、その他常磐線や秋田貨物・東海道線の相模貨物などにも顔を出しています。

特にメインの東北本線の直通運用(首都圏-五稜郭)では走行する運用区間の長さから走行距離毎の点検頻度が増え、一時期が故障も増えたことから稼働率著しく低下して車両不足が発生していました。

そのため、走行距離を抑えて最小限の車両数で運用するため、EH500 の運用を黒磯以北の交流区間としてそれ以南の直流区間EF210 などの直流機関車で牽引するパターンが増えていました。

2016 年3月の北海道新幹線函館ン北斗延伸に伴い、青函トンネル区間が新幹線対応の交流 25,000V に昇圧され、保安装置も変更されたことから、この区間がの運用はすべてEH800 に変更され、EH500 の北限は青森となりました。

また、黒磯駅での機関車交換を中止し、殆どの列車が隅田川新鶴見など首都圏まで直通するようになったため、首都圏での EH500の運用が拡大しました。

門司機関区所属のEH500 については、2007年から運用を開始し、現在は幡生操車場-福岡貨物ターミナル駅間で 1,300トン貨物列車の運用牽引などを中心に運用されています。

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 ↑ 門司機関区に配属中のEH500-20号機。九州地区でもEH500は運用されています。 

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 ↑ 五稜郭駅に停車中のEH500-25。北海道新幹線の開業に伴い、2016年3月以降、青森以北の運用はなくなりました。

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 ↑ 五稜郭に乗り入れていたEH500-41。

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 ↑ こちらも、五稜郭で撮ったEH500-41です。

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↑ 郡山駅構内で休む、EH500-55。

初期型

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 ↑ EH500も初期車(1次車・2次車)は、3次車以降とは外観も異なります。

EH500の量産化は、試作機での試験成績を踏まえて 2003年に開始され、1次形(量産先行車)として1・2号機が製造されました。

試作機では1基のみの搭載だった主変圧器は各車体に1基づつ(計2基)搭載され、これに伴い内部機器の配置も変更されました。
車体側面のルーバーは天地寸法が拡大され、採光窓も1車体あたり片側2組(×2車体)となりました。

外部塗装は若干暗めの赤紫で、前面帯は形式番号直下に配置され試作機よりも太くなりました。

1・2号機は登場時は「ECO-POWER 金太郎」のロゴマークは落成時にはなく、2次側の登場した後に表示されました。

2次形(3-9号機)は、2000年3月から 2001年1月にかけて製造されましたが、着雪による照度低下対策として、前照灯の設置位置が1次車よりも上方(前面帯部分)に変更されました。

「ECO-POWER 金太郎」のロゴマークは、この2次車以降から新製時に表示されるようになりました。

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 ↑ 2次車の7号車。前照灯は前面帯部分に設置されています。

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 ↑ 量産先行車に1号機(1次形)。試作車ともその後の量産車とも外観は異なります。

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 ↑ 1号機側面の様子 その1

 

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 ↑ 1号機側面の様子 その2

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 ↑ 1号機 側面の様子 その3

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 ↑ 1号機側面の様子 その4

3次車以降増備車(2001年~)

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 ↑ 3次以降増備車では外観の塗装が変更されました。 

 2001年に増備された3次形以降の増備車(10号車以降)ではマイナーチェンジされ外観が変更されました。

車体の色は明るめの赤に変更され、運転台周りの黒色塗装は窓枠部分のみに縮小し、前面帯は前照灯外線で切れた状態となりました。

15号機以降では、前照灯カバーの形状が変更され、白線が僅かに細くなっています。

更に、73号機以降からは後尾灯が電球式から LED式に変更されました。

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↑ 郡山駅の構内で仙台方面に向け出発を待つ27号機とタキ専用列車 

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 ↑ 運転台付近側面の様子。(第2エンド)

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 ↑ 側面と描かれたJRFのロゴマーク

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 ↑ 愛称である金太郎のマークも描かれています。

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 ↑ 運転台付近側面(第1エンド)の様子。

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 ↑ 側面全体の様子。

【Nゲージ】EF57・EF58の試運転

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前回、保有する蒸気機関車の試運転を行いましたが、他にも放置状態の動力車は沢山あるので、それらの車両も順次走らせて状態をチェックするつもりです。

今回走らせたのは、電気機関車のEF57とEF58。

EF58は色・形状違いで4機も保有していたのですが、そんなことはすっかり忘れていました。

自分が子供の頃に乗車した唯一の東京発ブルートレインは、14系客車の寝台特急紀伊」で、それを牽引していたのが EF58でした。

(当時の寝台特急紀伊」は、山陰地方向けの「いなば」と併結で東京を出発、名古屋で切り離されて、関西本線紀勢本線と進み、紀伊勝浦まで走っていました。)

なお、今回は 10系客車を牽引させて試運転を行いました。

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KATO の EF57 です。

自分が 大人になってNゲージを再開したときに、真っ先に購入した機関車です。

かなり古い製品ですが、下手なマイクロの新製品よりもしっかり走ります。

やはり、KATOの製品は長持ちします。 

問題なく稼働。

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 KATO の EF58 上越線ブルーです。 

上越線で使用していた EF58は、前面の窓につらら切りが装着されているのが特徴的でした。

問題なく稼働。

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 茶塗装の KATO EF58 です。

自分が所有しているのは、初期型で前面窓が大きいタイプです。

 問題なく稼働。

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 数ある EF58 の中で最も有名な、お召指定機の KATO EF58 61号機です。

実車は、まだ健在なのでしょうか。

問題なく稼働。

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 KATO の EF58  ブルトレ塗装です。

20系を購入してこれを牽引させたいですね。

購入してからかなり経過していますが、実際に走らせるのは今回が初めてです。

問題なく稼働。

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ところで、今回の試運転では、機関車の稼働は問題ありませんでしたが、列車の脱線が同一場所で何回も発生しました。

写真は、旧路線(廃止予定)エリア、ポイントまでで立ち往生する EF57牽引試運転列車です。

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 機関車のすぐ後ろに連結されていた オユ10 は後ろの台車が完全に線路から飛び出してしまっています。

(ちなみに、ストラクチャーの煙突も倒れていますが、これは今回の脱線とは一切関係ありません。)

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 3両目に連結されていた オロネ10 は、ポイントの手前で脱線・転覆しています。

このポイントはミニカーブレールですが、列車はここでは直進していますので特に問題ありません。

脱線の原因はこのポイント通過が原因のように見えますが、調査の結果、原因はここではなくその手前であることが判明しました。

このポイントの手前、左カーブの元には「カーブポイント」があるのですがそれが原因でした。

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 以前も掲載したものと全く同じ写真です。

そのときは、ここを 583系が通過しようとして脱線していましたが、今回もここでした。

列車はこのポイントを通過するときに脱線し、そのまま先の左カーブを曲がろうとして転覆していました。

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 カーブポイントの根本、分岐点ですが、ここを列車が通過しようとするときに、列車の外側が台車ごと浮き上がってしまいます。

ポイント内側の稼働するどこかの部分が、通過車両の床下と接触し、台車ごと車両を持ち上げてしまいます。

通過後、浮き上がった台車はガタンと下に落ちるのですが、そのときに脱線してしまうようです。

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 写真では浮き上がった状態がうまく撮れませんでしが、台車はこの真ん中あたりを通過するときに浮き上がり、その後ガタンと下に落ちる形で通過していました。

最低の速度で徐行してこの区間を走らせ、横からこの位置をずっと見ていましたが、通過する列車のうち半分ぐらいの台車ががガタン・ガタンといって通過していきました。

目の前で脱線する台車も多くありました。

時間がないので、脱線の原因究明は次回に先送りです。

レイアウトの作り直しを予定している中、現在 KATO と TOMIX のレールどちらを使うか迷っていますが、自分の望む条件を満たそうとすると、どうしてもカーブポイントが必要となります。

それがこのように不具合を起こしてしまうのであれば、実際どうしようか考えてしまいますね。

いずれにしても、カーブポイントを今後も使い続けるのであれば、この茶色のカーブポイントは古いので代替えしようとは思っています。

 

銚子電鉄 デハ700形

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↑ デハ700形は元は近江鉄道のモハ51・52で、1978年に銚子電鉄に譲渡されました。

デハ 700 形の 701・702 は、元は 1928年に製造された近江鉄道の電動貨車デユワ101・102 です。

1941 年に旅客用の半鋼製電車に改造され、同鉄道のモハ 51・52 に変わりました。

もともと両運転台車だったのですが、1961 年に片運転台化改造が行われ、非連結側の正面は2枚窓ですが、連結側には貫通路が設けられました。

銚子電鉄には 1978 年に入線しましたが、その際に再び改造が実施され、再度の両運転化と貫通扉の埋め込みが実施されました。

正面デザインが銚子側と外川側で異なるのはそのためで、銚子側が2枚窓・外川側が3枚窓となっています。

全長が 15m級で、入線当時に同鉄道で活躍していた 11 mクラスの車両と比べても大きかったのですが、後に入線したデハ 800 形やデハ 1000形に比べると、若干小さいです。

パンタフラグは既設運転台側の銚子寄りについています。

制御機器の関係でほかの形式との総括制御ができないため、朝ラッシュ時などに2連で運用されることが多かったのですが、701 は 1994年 12月にワンマン化改造されているため、昼間の単行運用にも就いていました。

車体の塗装は、入線時は銚子電鉄の旧カラーで塗装されていましたが、1990 年に現在の紅赤色+黒褐色のツートンカラーに変更され、更に デハ702 は、2007年11月の点検・整備の際に青色ベースの旧塗装に再度変更されました。

老朽化のため、伊予鉄道 800形2編成4両の導入に伴い 2010年に 800 形とともに引退しました。

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 ↑ 2009年に撮影、デハ702は青色ベースの塗装に変更されていました。

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 ↑ 晩年まで銚子電鉄の標準塗装のままだったデハ701

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 ↑ 銚子駅側は非貫通の2枚窓。

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 ↑ 外川駅側は3枚窓。

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 ↑ 引退後、ポッポの丘で静態保存されたデハ701

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↑ 晩年はデハ800形同様、デハ701・702とも稼働率は低く、ついに走行写真を撮ることができませんでした。

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 ↑ 2006年8月撮影。まだ現役なのに、見た目が引退したかのような状態で車庫にいました。

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 ↑ 前面のヘッドマークの後が残っていました。隣にはすでに引退した「澪つくし号」も見えます。

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 ↑ デハ702は2007年11月に塗装変更されました。

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 ↑ 個性的な3枚窓非貫通。近江鉄道時代では貫通扉があった時期もありました。

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 ↑ 引退後、外川駅の構内に留置されるデハ702

【鉄コレ】クモニ143-5

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クモニ143 は、従来の荷物用電車が旧型電車からの改造が多く、老朽化や併結する旅客車の車両性能による高速化の妨げとなっていたことから、これら従来車の置き換え用として 1978年と 1982年に計8両が新製されました。

同時期に製造されていた牽引車のクモヤ143 形をベースとして設計されましたが、単行運転を可能とするために、それまでの新性能車とは異なり 1C4M 方式とされました。

鉄道コレクション第 20弾で製品化されたクモニ 143-5 は、1978年に長野運転所に配置され信越本線などで活躍した後、1985年に長岡運転所に転属しました。

国鉄の荷物輸送廃止の後は、クモヤ143-5 に改造されました。

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↑ クモニ143-5

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↑ 運転台付近の様子

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↑ 側面の様子 その1

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↑ 側面の様子 その2

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↑ 側面の様子 その3

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↑ パンタグラフの様子

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↑ 台車の様子

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 ↑ 反対側の様子

【Nゲージレイアウト】車両基地/地面底上げ(スチレンボード敷設)

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 前回までに、一部を除き道床レールの貼り付けを行いましたが、そのうち、先行してバラスト散布を行う予定の場所に、スチレンボードを敷いて地面の底上げを行いました。

といっても、とりあえずはスチレンボードをはめ込む場所の形に切って置いただけです。

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 スチレンボードは、旧レイアウトの製作のときに切った余りあや破片を捨てずに残していたものを、流用します。

余った資材は有効活用しないと。

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 旧レイアウト同様、地面の底上げに使用するスチレンボードは、 3mm厚のものを使用します。

底上げした地面の高さと、トミックス道床レールの高さの差は写真のとおりです。

スチレンボードの上にはバラストを散布します。

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スチレンボードの切れ端を、はめ込む場所の大きさに切ります。

今回は、これら切れ端のみで、予定した場所を全部埋めることができました。 

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スチレンボードの大きさは適当で、隙間が空いたりしていますが、最終的には隙間はバラストで埋めてしまうので、問題ありません。

今回、まだ散布するバラストをどのメーカーの製品にするか決めていませんが、色はグレー系にするつもりです。

スチレンボードも、一応グレーに塗装するつもりです。

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今回、スチレンボードを敷いた場所は写真のとおり。

まずはここで一通りバラスト散布をして、問題なければ他の場所も順次作業をいく進めていくこととしました。 

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スチレンボードを敷いたあとの、地面とレールの状況は写真のとおり。

トミックスレールでなく、KATO の ユニトラックを使用した場合は、ユニトラックの道床は更に高いので、スチレンボードはもっと厚いもの(5mm)の方が良いかも知れません。

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架線柱の固定台 のうち、前回で切断した片割れの、レイアウトボードに固定する部分を切断しました。

このカブトムシの角みたいになっている方を使用します。

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架線柱の固定台は、前回までの作業で、手前側の部分はすでにレイアウトボードに貼り付けていますので今回はその対となる方を貼り付けます。

貼り付ける場所は、架線柱が線路に対して直角に設置できるように、L型定規で確認ししながら印をつけます。  

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架線柱の設置場所に貼り付けた固定台の様子。

今回は、とりあえずスチレンボードを敷く場所のみ行いました。 

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 スチレンボードを敷くとき、架線柱の固定台と重なる部分は切り取ります。

切り取り方が雑なのは、ご容赦願います。

バラスト散布の時は、架線柱を設置する場所にはマスキングをしないとだめですね。

特に、バラストで穴を埋めてしまうと、架線柱が取り付けられなくなってしまう。

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 今回の作業が完了した様子。

手前の架線柱が多少曲がって設置してあるのがご愛敬。

すぐに直しました。

ある程度作業が進んだら、架線柱もきちんと塗装したいですね。

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 今回、たまたま入線していた機関車はKATO のEF65 500番台です。

10年ぐらい前までは、500番台もまだ千葉まで顔を出していたような気がします。

お気に入り機関車の一つなので、大事にしたいと思います。

【鉄コレ】京浜急行電鉄 230形

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京浜急行電鉄の 230形は、1930年に湘南電気鉄道の開業時にデハ1形として 25両が製造されたのがその始まりで、相互乗り入れ先である京浜電気鉄道も含めて、その系列(湘南電気鉄道デ 26形、京浜電気鉄道デ 71形、デ 83形、デ 101形)計 55両が活躍しました。

これまで路面電車スタイルの印象が強かった昭和初期の京急電車のイメージを一新させた軽量高速電車となりましたが、車体は 16m級2扉車、主電動機は直巻電動機で吊り掛け式の駆動装置と組み合わせて使用されました。

1941年に京浜電鉄、湘南電鉄が東京急行電鉄に併合されると、デハ1形とその系列 55両はデハ 5230形(京浜電鉄デハ 101形は 600V 区間専用・3扉車のため、デハ5170形と区別された)に整理統合されました。

1948年に大東急体制の解体で京浜急行電鉄が登場すると、デハ 5230形はデハ 230形となり、クハ 5350形(元デハ 5170形)はクハ350形となりました。

1963 年以降、デハ230形は塗装変更、前照灯のシールドビーム化、尾灯の角形化、扉の交換、片運転台化、貫通扉の設置、乗務員室の全室化といった大幅な更新工事が実施され、2両固定編成となり、1978 年まで運用されていました。

鉄道コレクションでは、事業者限定品として晩年の姿で製品化されました。

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 ↑ デハ230 奇数車 

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↑ デハ230 偶数車

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 ↑ デハ230 奇数車 前面の様子

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 ↑ デハ230 奇数車 側面の様子 その1

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 ↑ デハ230 奇数車 側面の様子 その2

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 ↑ デハ230 奇数車 側面の様子 その3

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 ↑ デハ230 偶数車 側面の様子 その1

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↑ デハ230 偶数車 側面の様子 その2

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 ↑ デハ230 偶数車 側面の様子 その3

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 ↑ パンタグラフ付近の様子 その1

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 ↑ 台車の様子

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 ↑ デハ230 偶数車 運転台付近の様子