26:鉄コレ_中部日本地方私鉄
モハ4255は、かつて上田丸子電鉄(現:上田電鉄)の路線である、真田傍陽線(さなだそえひせん:1972年廃止)で使用されていた車両です。 元は1930年に製造された鶴見臨海鉄道モハ110形で、このうちモハ114・115(元:国鉄モハ1500形の1501・1504)が1958年…
富士急5700形は1954年から1959年にかけて小田急から譲渡され増備された車両ですが、うち1編成(5707F編成)のみは元2200形であったため、他の車両と異なり、前面が2枚窓の非貫通形となっていました。(他の車両は3枚窓の貫通形) 小田急時代と異なり、屋…
富士急行5000形は1975年に3100形の事故廃車補充用として2両編成1本が日本車両で製造されました。 高運転台、両開き2扉の20m級車体で、2両固定編成、冷房装置は新造時から屋根上に分散式クーラーを4基搭載し、富士急初の冷房車となりました。 モハ5001と…
富士急行5700形は、元は小田急の2200系グループ(2200形・2220形・2300形・2320形)で、富士急行線には1982年から1984年にかけて入線しました。 富士急に入線した際、小田急時代の ATSと列車無線の撤去、スノープローの取り付け、客用ドアの冬対策などの改造…
長野電鉄0系は、ラッシュ時の混雑緩和を目的として、1966年に2両編成2本が導入されました。 車体は20m級で、客用扉は1,300mm両開きを片側4扉となり、前面は日本で初めてFRPが採用されました。 塗装は、警戒色の意味も兼ねて赤2号のクリーム4号のツート…
富士急3100形は1956年に新製された同社の新性能電車で、日本初の狭軌用WNカルダン駆動車です。 なお名前の3100形は、昭和31年に登場したことに由来するそうです。 車体は、長さ19,350mm・幅2,800mmとなり、同時期に日本車両製造で製造された秩父鉄道300系と…
モ1形は、富士急行の前身である富士山麓電気鉄道が1929年に開業(現在の大月線)した際に日本車輛製造で新造された車両で、モ1ー5の5両が登場しました。 全長15m級、前面非貫通の両運転台・電動車で、当初はパンタグラフが2基装備されていました。 1952…
14750形は、1948年に製造された運輸省規格形の車両で、4両が製造されました。 18m級2扉車で、吊り掛け駆動方式、登場時はモハ15000形2両とクハ1050形2両でMT編成となっていましたが、1951年にクハ2両が電装化されました。 1958年から1959年にかけて窓枠…
北陸鉄道7000系は、元東急7000系を 1990年に同社が譲り受けたもので、現在石川線で運用されています。 種車の違いに起因する外観上の相違や冷房装置搭載の有無によって、7000形・7100形・7200形の3形式に分かれています。 導入時、すでにワンマン運転が予定…
元国鉄のキハ41043で、1950年に北陸鉄道に譲渡され、このとき羽咋駅側にのみ荷台が取り付けられました。 その後は能登線で活躍、いつ廃車になったかは不明ですが、能登線そのものが1972年に経営合理化のために廃止になっているので、このとき引退したのかと…
長野電鉄 2000系のD編成です。 晩年のリンゴ色に変更された以降の仕様で製品化されています。 リンゴ色は、第5弾でA編成が製品化されましたが、それとは異なりこちらはスカートを履き、屋根の上にはクーラーも載せています。 ↑ モハ2007 ↑ サハ205…
長野電鉄 2000系のA編成はリンゴ色が第5弾で一度モデル化されましたが、その後茶色バージョンがオープンパッケージで発売されました。 引退寸前の状態を製品化したため、第5弾では非冷房となっていましたがこちらでは冷房化されています。 マルーンの色が…
14710形は、元は名鉄3800系で、1967年から 1969年にかけて 14両が名古屋鉄道から富山地方鉄道に移籍しました。 自社カルダン駆動車にさほど劣らぬ出力・自動加速制御装器と自動空気ブレーキを備え、当時の同鉄道他の車両より高性能であったことから、1920年…
長野電鉄 3500系は、元営団地下鉄(現東京メトロ)の日比谷線用として活躍していた 3000系で、長野電鉄には 1993年に在来車の置き換え・車種統一をも目的として先頭車(旧 3000形)34両・中間車(旧3500)3両の計 37両が一気に投入されました。 これらの車…
長野電鉄 2000系は、当時増加していた観光需要に対応する特急用車両として、1957年3月に登場しました。 車体は名古屋鉄道 5000系を参考に設計され、モノコック構造の 18m級タマゴ型2扉車・室内はセミクロスシート仕様で、クロスシート部分は回転式・2枚…
新潟交通クハ37は、1944年新潟鉄工場所で製造された元国鉄機動車キハ41080 で、1952年1月に新潟交通に譲渡され、電車化( Tc 化)されクハ37となりました。 Tc 化の際、台車は機動車用の TR26 から電車用の TR11 に履きかえられましたが、車体は前面4枚窓…
新潟交通の 2200形は、元小田急電鉄 2200形で 1985年に 2229 - 2230 の1編成2両が移籍・導入されました。 塗装は小田急時代のままで使用され、番号もデハがモハに変更された以外はそのままでした。 2両固定編成(MM' ユニット)だったので、ほぼラッシュ…
新潟交通クハ 47 は、同社区分のクハ45 形に属し、同形はクハ 45 ~50 の計6両が存在しました。 これらは、1967年から 1970年の間に、小田急デハ 1400 形・クハ1450 形の車体と手持ちの台車を組み合わせて製造されたもので、モハ 10などと連結して使用され…
新潟交通モハ11は、同社のモハ10形電車のグループに属します。 モハ10形は、1960年代に車体の近代化のために在来車の機器を流用して製造された、「日車標準車体」のひとつで、1933年に前身である新潟電鉄が開業したときに新造されたモハ11形…
MC2201形は、元は阪神電鉄のモハ3301形で、同鉄道で廃車になった後、えちぜん鉄道の前身である京福電気鉄道福井支社に譲渡され、モハ2201形として4両全車が1986年に入線しました。モハ3301形は冷房装置は搭載していたものの、他の車…