↑ 初期型のD51-14は、千葉県流山市内の公園に静態保存されています。
D51-14号は、同形式がデビューした最初に増備されたグループのうちの1台で、1936年に汽車製造大阪工場で製造されました。
車体は、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水暖め器をレール方向に置き、それらをカバーで覆った、半流型(ナメクジ)のタイプとなっています。
デビュー当初は吹田・鷹取に配置されたものの、その後は北海道に渡り、函館・岩見沢・旭川の各機関区で活躍し、1973年の名寄を最後に引退しました。
D51の初期型は、川崎車両と汽車製造の複数メーカーで製造され、車番は製造前から各メーカーに割り当てられていました。
そのため、車番の若い順に落成したわけではなく、この14号機が事実上一番最初に落成したD51だそうです。
14号機は、引退後1976年に千葉県流山市の総合運動公園に移設され、以降ここで静態保存されています。
↑ 側面の様子。初期型「ナメクジ」のスタイルです。
↑ 運転台横の様子。
↑ 後ろから見た様子。結構老朽化が進んでいます。