琴電62は、同社の60型と呼ばれる形式に属するものです。
60型は、元は東京急行電鉄京浜線(現:京浜急行電鉄)の木造車5100型(1913年に製造されたデ29型)で、それを琴電が譲り受けたものです。
琴電に入線後各路線に配置された車両のうち、志度津線用に配置されたグループは60型(61~64)となりましたが、62もこのグループに所属します。
これらの車両は、木造である上に戦後混乱期の酷使により車体の疲弊が激しかったため、1950年代に入ると、各車各様の補強工事を受けました。
しかしながら、62はこれらの車両の中で最も状態が悪かったため、1953年に今橋工場で台枠のみ流用して車体を新造しました。
1952年製の10000形の流れを汲む側面2扉・ノーシルノーヘッダーで、全面は当時の1010が形と同じ悲観通2枚窓となり、パンタグラフは高松築港・志度側に取り付けられました。
1966年の志度線の架線電圧昇圧の際、62も昇圧改造を受けましたが、このときに全面が貫通扉つきに改造されました。
1993年には、瓦町駅近代化に伴う志度線分断により、62が長尾線の所属となり、その後も活躍を続けましたが、2002年12月に600形の増備に伴い、廃車となりました。
鉄コレ第2弾でモデル化されたのは3枚窓ですが、2枚窓(非貫通)の62も第2弾のシークレットで発売されているそうです。
↑ 60形62
↑ パンタグラフ側前面の様子
↑ 側面の様子 その1
↑ 側面の様子 その2
↑ 側面の様子 その3
↑ パンタグラフ付近の様子
↑ 台車の様子
↑ 反対側 運転台付近の様子