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This blog is a record of my hobby of railroads and model trains.

【Nゲージ】秩父鉄道デキ200型・500型

秩父鉄道での貨物輸送は、製品のセメント輸送が全廃されるなど長期低落傾向にありますが、沿線の武甲山や叶山で産出される良質な石灰石の輸送が現在も続けられています。

秩父鉄道では、同鉄道で運行される、C58 363 SL牽引のSLパレオエクスプレスの補機として役割も含め、多数の電気機関車が運行されています。

Nゲージでは、マイクロエースがデキ200型・500型を製品化していますが、そのうち次の2両を保有しています。

デキ200型(デキ203)

品番:A2069

実車は、1963年1,000t級重量鉱石貨物列車牽引用としてに3両が導入されましたが、うち2両が2000年に除籍となり三岐鉄道に譲渡され、現在は残る1機(デキ201)のみが在籍しています。

粘着性能向上のため、鋼板溶接組み立てによるL型軸梁式という特殊な台車を装着していますが、保守が面倒で軌道負担が大きいことから、貨物輸送には就かず、現在はパレオエクスプレスの補機として運用されています。

Nゲージでの所有機は茶色塗装です。

前面の様子。

側面全体の様子。

反対側から見た様子。

デキ500型(デキ502)

品番:A2076

デキ500型は、1973年から1980年にかけて7両が導入された秩父鉄道の主力機で、基本的には既存のデキ300形の仕様をそのまま受け継いでいますが、空気圧縮機やライト(シールドビーム化)などの詳細で相違点があります。

自分が所有する502号機は初期のタイプで、ひさしがなく前面窓は後期の増備車に比べて小さくなっています。

前面の様子。

側面全体の様子

反対側から見た様子。

高架線直線区間・傾斜面の制作 その4

高架線直線区間の製作の続きです。

上の写真は、今回の作業後の様子です。

前回は、高架線一部の塗装とウェザリングを行いましたが、今回はその地盤の工事を進めました。

上の写真は、今回の作業前の様子です。

ウェザリングまでを施したトミックスのレンガ橋脚4つをレイアウトボード貼り付け済み。

その周りを3mm厚のスチレンボードで地面の嵩上げを行なっています。

勾配区間と高架線の接続部分です。

線路が飛び出ているその下には、高架橋付きレールと結合するステップが設置されますが、ステップの階段部分には隙間があって一部レイアウトボードの木目が露出してしまうため、露出すると思われる部分をポポンデッタの下地用グレーで塗装することにしました。

露出すると思われる付近を筆で塗装した様子です。

ステップを配置し、その先のまだ固定していなかった地面嵩上げ用のスチレンボードをタイトボンドでレイアウトボードに貼り付けました。

レンガ橋脚付近の様子です。

橋脚の断面は楕円形なのに対して、角ばったスチレンボードを貼り付けたため、写真のように端に隙間ができてしまいました。

隙間の大きいところは、細かくちぎったティッシュを詰めて、ボンド水溶液をスポイトで垂らして固定化しました。

この後、プラスターをスチレンボードに塗布するので、ウェザリング済のレンガ橋脚をを養生しました。

マスキングテープで養生すると、テープを剥がした際にウェザリングが落ちてしまうような気がしたので、橋脚の養生はクラフト紙を撒いて輪ゴムで縛る形にしました。

プラスターを塗布する部分以外を全て新聞紙やマスキングテープで養生しました。

トミックスのシーナリープラスターを塗布する準備をした様子です。

プラスターを塗布している様子は、過去の記事で何回か掲載しているので、本記事では省略します。

予定していた部分へのシーナリープラスターの塗布が完了しました。

プラスターが完全に固まった状態で、ポポンデッタの下地塗料(茶色)を筆塗しました。

なお、ポポンデッタの下地塗料は現在生産されておらず、茶色は入手困難です。

写真の塗料も残量が少なく、もうすぐ枯渇します。

今後使用する地面の下地塗料をどうするか、現在悩んでいます。

ひとまず予定部分の下地塗装ができましたが、マスキングの後などでまだ塗残しがあるかと思われます。

塗料が乾くのを待ちました。

新聞紙やマスキングテープなどの養生を全て外した様子です。

レンガ橋脚の養生を全て撤去した様子です。

やはり、橋脚の根本が紙で養生されていた関係で塗れていませんでした。

写真が若干ピンボケしていますが、レンガ橋脚の付近の拡大です。

すでに塗装した部分も、細かい塗残しが沢山あります。

この後、こうした塗残しを手塗りで補正しました。

何回も塗残りをチェック補正した後の様子です。

写真は、以前制作した石垣の下部分です。

ここにはライトグレーで塗装したスチレンボードのパーツを設置していますが、長さが足りず端が空いてしまっていました。

この部分を埋めるパーツをスチレンボードで作ります。

端の隙間を埋めるためのパーツを、3mm厚のスチレンボードを重ねて作りました。

作ったパーツを端の部分に仮設置してみましたが、どうも高さが足りなかったようです。

ここは、次回の作業で再度対処します。

今回はここまでです。

鉄道コレクション:ローカル私鉄(関東)

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わたらせ渓谷鉄道

わたらせ渓谷鐡道は、群馬県桐生市の桐生駅から栃木県日光市の間藤駅に至る 44.1kmの路線を運営する鉄道で、この路線は元国鉄の特定地方交通路線の足尾線を1989年に引き継いだものです。

全線単線、非電化の路線で、このうち桐生-下新田信号場 1.7kmはJR東日本両毛線と施設を共用しています。

その名のとおり渡良瀬川上流の渓谷に沿って走り、特に初夏の新緑と秋の紅葉の風景は絶景とされることから、シーズンにはトロッコ列車なども走っています。

わ89-100形①

わ89-100形②登場時2両

上信電鉄

上信電鉄は、鉄道事業としては群馬県高崎駅と下仁田駅を結ぶ33.7kmの路線を運営する会社です。

全線単線の電化路線で、貨物輸送は1994年まで行われていました。

かつては、春秋のシーズンなどの国鉄からの直通列車や快速列車などの設定もありましたが、現在は2両編成の列車により全て運行されています。

700形(旧標準色)

700形(107系リバイバルカラー)

上毛電気鉄道

群馬県の前橋中央駅と西桐生駅を結ぶ 25.4km の路線(上毛線)で、全線単線、直流1,500V 電化線です。

中央前橋駅・西桐生駅とも繁華街に隣接する場所に立地され、国鉄線とは接続せず、開業当初は孤立していましたが、1932年には東武鉄道桐生線が赤城駅まで開業し接続するようになりました。

通常の営業列車用としては、現在は1998年以降に導入された 700型(元京王3000系)の2両編成に統一されていますが、その他バラストなどの保線工事用として、デハ100形とホキ1形を保有しており、デハ100形(デハ101)は群馬県近代化遺産に登録され、イベントの際は実際に臨時列車として本線を走行しています。

700形

真岡鐵道

真岡鐵道は下館駅と茂木駅を結ぶ41.9kmの単線・非電化の路線で、旧国鉄の特定地方交通線を栃木県や沿線地治体が出資して発足した第三セクター方式の真岡鐵道が1988年4月に引き継ぎました。

1994年から運行される「SLもおか」は有名で、現在もC12蒸気機関車と50系客車3両編成により運転されています。

モオカ63型

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日立電鉄

日立電鉄は、茨城県常陸太田市の常北太田駅と日立市の鮎川駅間を結ぶ 18.1kmの電化路線で、沿線に多く立地する工場の通勤や高校の通学輸送などを中心に利用者も多かったのですが、バブル崩壊後の工場閉鎖やモータリゼーションの発達により利用客が大幅に減少し、2005年4月に廃止となりました。

モハ2230

3024

茨城交通(ひたちなか海浜鉄道)

茨城交通は、かつては湊線(勝田駅-阿字ヶ浦駅間14.3km)や水浜線(上水戸駅-湊駅間20.5km、1966年廃止)・茨城線(赤塚駅-御前山駅間25.2km、1971年廃止)の3路線を保有していました。

水浜線・茨城線廃止後も湊線の運営を近年まで行ってきましたが、輸送人員の減少に伴う赤字経営のため、2008年4月に湊線の経営は第三セクター方式で設立されたひたちなか海浜鉄道に移管され、現在に至っています。

ひたちなか海浜鉄道/キハ3710形

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茨城交通/キハ201

 

キハ1001

鹿島鉄道

鹿島鉄道は、茨城県石岡市の石岡駅と鉾田市の鉾田駅を結ぶ26.9kmの非電化路線でした。元は鹿島参宮鉄道によって建設された路線で、1929年に全線開通、その後は常総筑波鉄道を経て1965年に関東鉄道鉾田線となり、1979年には経営分離により鹿島鉄道により運営されていました。

キハ430系

鹿島臨海鉄道

鹿島臨海鉄道は、元は鹿島臨海工業地域への原料・生産品を輸送するために敷設された鹿島臨港線を運営するために1969年に設立された鉄道で、1984年に国鉄線として建設されていた鹿島線を引き受け、大洗鹿島線として旅客営業を行うようになりました。かつては鹿島臨港線での旅客輸送を行っていましたが、1983年に廃止になっています。

2000形

関東鉄道

関東鉄道は、1965年に常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道の合併により発足した鉄道で、一時期は茨城県下に5路線を展開・運営していましたが、現在は常総線(取手駅-下館駅間 51.1km)及び竜ヶ崎線(佐貫駅-竜ヶ崎駅間 4.5km )を運営しています。

全線非電化ですが、常総線の取手駅ー水海道駅間 17.5km の区間は複線で列車の運転本数も多くなっています。

キハ411

キハ751形

キハ2100形1次車(旧塗装)

キハ2100形1次車(新塗装)

銚子電鉄

銚子電鉄は、銚子駅-外川駅間を結ぶ 6.4km の私鉄で、開業は 1913年(銚子-犬吠間)と古く、昔から小型の電車などが活躍してきました。

現在は元京王(伊予鉄道からの譲渡)の車両によって運用されています。

鉄道コレクションでは、第一弾から製品化され、デハ301 以降の 12m~16m程度の小型車両はだいたい網羅されている他、現行の元京王線車両も製品化されています。

デハ301/旧塗装

デハ301/新塗装

デハ501/旧塗装

デハ501/新塗装

デハ701

デハ801

デハ1002

デハ1001/桃太郎電鉄

デハ1001/鉄子塗装

デハ1002/丸の内塗装

デハ1001/銀座線塗装

2000形

3000形

小湊鉄道

小湊鐵道は、五井駅-上総中野駅間を結び小湊鉄道線(単線:非電化)を運営するローカル私鉄で、京成グループに属し、ほかに沿線で高速バスや路線バスなどを多数運営するバス会社でもあります。

一般の列車は、長きにわたり全てキハ200形で運用されてきましたが、2020年にJR東日本から只見線で運用されていたキハ40形2両の譲渡を受け、現在注目を浴びています。

その他、2015年以降かつての蒸気機関車をイメージしたディーゼル機関車と小型客車からなる観光列車「里山トロッコ」を運行しています。

キハ214+キハ205

流鉄(総武流山電鉄)

流鉄(旧:総武流山電鉄)は馬橋駅と流山駅を5.7km (単線・電化)の流山線を運営しています。

流山線は 1916年に軽便鉄道(流山軽便鉄道)として開業、1924年に改軌、1949年に勅中 1,500Vで電化され、現在に至っていますが、かつては蒸気機関車やガソリンカーなども運用されていました。

創業以来、どこの鉄道会社系列にも属さない独立系のローカル私鉄ですが、運用車両は1994年以降全車が西武鉄道からの譲渡車で統一されています。

現在は、元新 101系の 5000系(2両編成5本)で運用されています。

モハ105

1300形(あかぎ)

5000形/流馬

5000形/若葉

いすみ鉄道

いすみ線は、元国鉄の地方交通線であった木原線を第三セクター方式の発足したいすみ鉄道が運営する、単線・非電化の路線で、大原駅と上総中野駅を結び、路線距離は 26.8km となっています。

一般の列車は、現在はキハ300 形・キハ350形などの第二世代で運用される他、同車で動態保存されている元国鉄のキハ52・キハ28 による観光列車の運転されていましたが、キハ28は老朽化等により2022年11月に運行終了(引退)となる予定です。

いずみ200型①

秩父鉄道

秩父鉄道は、羽生駅と三峰口駅を結ぶ、71.7kmの秩父本線と武川-熊谷ターミナル間7.6km の三ヶ尻線(貨物線)を運営しています。

秩父本線は、ローカル輸送の他観光輸送の比重も大きく、普通列車に加えて急行列車「秩父路」やSL列車も運行されています。

最近まで存在した貨物列車専用の三ヶ尻線(武川-熊谷ターミナル間7.6km)は、石炭輸送列車の廃止に伴い2020年12月に廃止となりました。

300系①

7000系

 

箱根登山鉄道

箱根登山鉄道線は、小田原駅と強羅駅間を結ぶ 15.0kmの路線です。箱根湯本駅と小涌谷駅の間には 80パーミルとなる急勾配があり、日本の粘着式鉄道線としては最大となっています。

小田原ー箱根湯本間は小田急電鉄の車両が乗り入れ、箱根登山鉄道の車両は箱根湯本駅ー強羅駅間で運用されていますが、入生田駅には箱根登山鉄道の検車庫があり、入生田駅-箱根湯本駅間は軌間の異なる小田急電鉄の車両(狭軌/1,067mm)と箱根登山鉄道の車両(標準機/1,435mm)が運行されることから、同区間は三線軌条となっています。

モハ1形

モハ2形①

モハ2形②

モハ2形③

モハ3形

 

【鉄コレ】秩父鉄道 300系①

秩父鉄道300系は、急行「秩父路」用として1959年に登場した車両で、2連×2編成が製造されました。

日本車両製で、駆動方式はカルダン駆動が採用され、2扉のクロスシート・20m級車体で、前面は当初流行していた湘南窓の湘南スタイルとなりました。

その後、1966年には中間車2両も増備され、最終的に3連×2本となっています。

1992年まで活躍しましたが、老朽化・非冷房であることなどから、3000系(元JR165系)に代替され廃車となりました。

鉄道コレクションでは、第5弾でデハ300形M1-M2(デハ301-デハ302)旧塗装が製品化されましたが、初期製品ということもあり、購入時から汚れなどもあり、品質は良くありません。

↑ デハ301

↑ デハ302

↑ デハ301 前面の様子

↑ デハ301 側面の様子 その1

↑ デハ301 側面の様子 その2

↑ デハ301 側面の様子 その3

↑ デハ302 側面の様子 その1

↑ デハ302 側面の様子 その2

↑ デハ302 側面の様子 その3

↑ パンタグラフの様子

↑ 台車の様子

↑ デハ302 運転台付近の様子